[大川周明ネット - 先生ゆかりの地]

お墓

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 大川周明ネット開設を前に、これはやはり大川先生のお墓に詣でて報告して来なければと思い、お墓参りに行って来ました。
 場所は東京・目黒区の瀧泉寺、通称「目黒不動」です。
 東京近郊の方はぜひ一度いらしてみてはいかがでしょうか。
 お墓のありかがなかなかわからず苦労したので、実際にいらっしゃる方のために以下いろいろ書いておきますが、とりあえずお墓のお写真をば。
 
 まず、お墓のある目黒不動自体がけっこう分かりにくいです。
 東急目黒線にはそれこそ「不動前」という駅があるので、この駅に降り立てば「目黒不動こっち」という道案内表示が随所に立っているものと思った私は甘かった。そんなもの一切ありません。携帯のナビを使ってたどり着きましたが、駅からけっこう歩きますし、細い道を何度も曲がって、なかなか大変でした。目黒不動のホームページにある略図だとちょっとつらいと思います。
 五反田から渋谷に行く渋72系統のバスがちょうどまん前に着くので、これを利用するのが一番ラクかしら。でもお墓参りだけなら、バス停「目黒不動尊」の次の「林試の森入口」のほうがいいです。
 
 そもそも私が、大川先生のお墓のありかをつきとめたのは、目黒区 - 東京23景の情報だったのですが(あらまあ、私の撮った写真と比べるとずいぶんすっきりしてますこと)、目黒不動にいけば「大川先生の墓はこっち」という立て札が立っていてすぐわかると思った私は甘かった。そんなもの一切ありません。
 目黒不動には青木昆陽の墓があってこれはちゃんと立て札がたってて迷わず行けるんですけど、大川先生や北一輝の墓はそんなもん何もありません。
 それでも、青木昆陽の墓に行けばその近くにあるはずと思って行った私は甘かった。探しても探しても大川家の墓はありません。
 降参して寺務所に行ってきいたら、瀧泉寺(目黒不動)の墓所は2箇所あり、もう1箇所は青木昆陽の墓とはまるきり違うところにあるのです。しかもそれは、境内の地図には一切書かれていないのです。
 もう1箇所のほうはちょうどバス停の「林試の森入口」のところにあります。Googleのマップで「東京都目黒区下目黒5丁目37−5」を検索していただいて印がつくあたりです。
 こちらの墓所に入って右手奥のほうに上がっていくと、北一輝の墓と大川先生の墓とが、ちょうど向かい合う形でたっています。
 しかし何だかなぁって感じですね。だって大川先生、最初は北一輝に会いにわざわざ上海までかけつけた間柄でしたけど、結局はケンカ別れしたんでしょ? 上のサイトの説明見たら、大川先生の墓がたってから、わざわざ北一輝の墓をここに移してきたらしいです。先生さぞや居心地が悪いんじゃないかしら。それとも先生は北一輝との仲直りを望んでいらっしゃったのかしら?
 
 私はクリスチャン、それどころかサイバー単立教会の牧師と名乗っておりますが、一部のクリスチャンのように「仏式の葬儀は偶像崇拝だから出ない」とか「手は合わせるし献花はするが焼香はしない」とかいうおバカなことは全く言いません。郷に入れば郷に従えですんで、ちゃんと手を合わせてきましたわ。天台宗(不動っていうから密教で真言宗なのかと思ったらここは台密のほうなのね)のお経のあげかたは知らないので手を合わせてサイト開設の報告をしただけですけど。
 前におまいりした人が供えていったお花が枯れていた(トピ元の写真にあるとおりです)のでそれは片付けて、2基の墓石をどちらもごしごし水洗いしてきました(ついでに東条英機の頭みたいに軽くポンと叩いてきましたけど)が、近くに花屋が全然ないんですね。こんなことならどっかで花買ってくればよかったわ。線香だけ無人で1つ100円で売ってたんでお金おいてもらってきてお供えしましたけど。次に来るときは花買ってきますわ。ご命日は12月24日ですよね。あれまあクリスマスイブですわ。 
 
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