大川周明『北一輝君を憶ふ』

北一輝君を憶ふ 1


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北一輝君を憶ふ

 北君が刑死したのは昭和十二年八月十九日であるが、その前日、獄中で読調し続けた折本の法華経の裏に、最愛の遺子大輝君のために以下の遺言を書留めたー
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『大輝よ、此の経典は汝の知る如く父の刑死するまで読諦せるものなり。汝の生まるると符節を合する如く、突然どして父は霊魂を見、神仏を見、此の法華経を諦持するに至れるなり。即ち汝の生れたる時より父の臨終まで読諦せられたる至重至尊の経典なり。父は只此の法華経のみを汝に残す。父の思ひ出ださるる時、父恋しき時、汝の行路に於て悲しき時、此の経典を前にして、南無妙法蓮華経と念ぜよ。然らば神霊の父、直ちに諸神諸仏に祈願して汝の求むる所を満足せしむべし。経典を読藷し解説し得るの時来らば、父が二十余年間為せし如く、舗持一..映.を以て生活の根本義とせよ。即ち其の生活の如何を問はず、汝の父を見、父と共に活き、而して諸神諸仏の加護の下に在るを得べし。父は汝に何物をも残さず。而も此の無上最尊の宝珠を留むる者なり』
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 北君と法華経とは、生れながらに法縁があつたといえる。それは北君が孤ゼの声をあげたのは、日蓮上入流論の聖地と言はれる塚原山根本寺の所在地、佐渡の新穂村の母の生家であり、其家には日蓮上人又は日朗上人が舗持したといふ法華経が、大切に伝へられて居たからである。大輝君が生れたのは大正三年であるが、北君は、大正五年に此の由緒ある法華経を譲り受けて郷里から取り寄せ、爾来死に至るまでの二十余年間を読藷三昧に終始した。其大輝君への遺言は、此の秘蔵の法華経の裏に書かれたものである。
 北君は私にも二つの形地の品を遺してくれた。その一つは白の詰襟の夏服で、上海で私との初対面の思ひ出をこめた贈物である。大正八年の夏のこと、吾灯は満川亀太郎君の首唱によりて猶存社を組織し、平賀磯次郎、山田丑太郎何盛三の諸君を熱心な同志とし、牛込南町に本部を構へて維新運動に心を砕いていた。そして満川君の発議により、当時上海に居た北君を東京に迎へて猶存社の同人にしたいと言ふことになり、然らば誰れが上海に往くかという段になって、私が其選に当つた。この事が決つたのは大正八年八月八日であつた。八の字が三つ重なるとは甚だ縁起が良いと、満川君は大いに欣び、この芽出度い日付で私を文学士大川周明児として北君に紹介する一書を認めた。そして何盛三君が愛蔵の書籍を売つて、私の旅費として金百円を調達してくれた。かやうにして事が決つたのは八日であつたが、事を極めて秘密に附する必要があり、その上旅費も貧弱であつたので適当な便船を探すのに骨が折れ、愈π肥前唐津で乗船することになつたのは八月十六日であつた。
 其船は天光丸という是亦縁起の良い貨物船で、北海道から鉄道枕木を積載して漢口に向ふ途中、石炭補給のため唐津に寄港するのであつた。私は十四日夕刻に唐津に着き、其時直ちに乗船する筈であったが、稀有の暴風雨のために天光丸の入港が遅れ、物凄い二晩を唐津の宿屋で過ごし、十六日漸く入港して石炭を積み終へた船にのり、まだ風波の収まらぬ海上を西に向つて進んだが、楊子江口に近いところで機関に故障を生じ航行が難儀になつた。本来ならば天光丸は漢口に直行するので、私は楊子江口の呉瀬に上陸し、呉瀬からは陸路、排日の火の手焔灯燃えさかる上海に行く筈であつたが、機関の故障を修繕するため予定を変更して上海に寄港することになつたので、私は大いに助かつた。
 そして上陸に際して面倒が起つた場合は、船長が私を鉄道枕木の荷主だと証言してくれる手筈であつた。私の容貌風采は日本ではとても材木屋の主人としては通すまいが、上海では押通せるだらうと思つた。さなきだに船足の遅い天光丸が機関に故障を生じたのだから、殆んど周うやうにして湖江し、実に二十二日夜に漸く上海に到着した。訊問の際に若干でも商人らしく見せようと思つて、船中で口髭を剃落したが、案ずるよりは産むが易く、翌二十三日早朝私は何の苦もなく上陸して、一路直ちに有恒路の長田医院に北君を訪ねた。北君は長く仮寓していた長田医院を去つて、数ケ月以前から仏租界に居を構へて居るとのことだつたので直ちに使者をやつて北君に医院に来て貰つた。そして初対面の挨拶をすまして連立つて太陽館どいう旅館に赴き、その一室で終日語り続け、夜は床を並べて徹脊語り明かし、翌日また仏租界の巷にあつた北君の階居で語り、翌二十五日直ちに長崎に向ふ汽船で上海を去つた。この二日は私にとりて決して忘れ難い二日であると共に、北君にとりても同様であつたことは、後に掲げる北君の手紙を読んでも判るし、又、白の詰襟の夏服を形見に遺してくれたことがなによりも雄弁に立証する。
 いま装釘を新にして刊行される『日本改造法案大綱』は、実に私が上海に行く約一ケ月前から、北君が「国家改造法案原理大綱』の名の下に、言語に絶する苦悶の間に筆を進めて、私が上海に往つたのは、その巻一より巻七まで脱稿し、巻八『国家の権利」の執筆に取りかかり、開戦の積極的権利を述べて、『註二。印度独立問題ハ来ルベキ第二世界大戦ノ「サラエヴオ「ナリト覚悟スペシ。而シテ日本ノ世界的天職ハ当然二実力援助トナリテ現ルベシ』と書いて筆を休めた丁度其時であつた。
 私は北君がかかる日本改造の具体案の執筆に心魂を打込んで居るとは知らなかつたので、日本の国内情勢を述べて乱兆既に歴然であるから、直様日本に帰るやう切願した。北君は乱兆は歴然でも革命の機運は未だ熟しては居らない。但し自分も日本改造の必要を切実に感じて、約一カ月前から改造案の大綱を起稿した。参考書は一冊もない。静かな書斎もない。自分は中国の同志と共に第三次革命を企てたが事は志と違つた。日本を憎んで叫び狂ふ群衆の大怒濤の中で、同志の遺児を抱えて地獄の火焔に身を焦れる思いで筆を進めるのだが、食物は喉を通らず、唯だ毎日何十杯の水を飲んで過ごしてきた。時には割れるやうな頭痛に襲はれ、岩田富美夫君に鉄腕の痺れるほど叩いて貰ひながら、}二行書いては横臥し、五六行書いては仰臥して、気息奄々の間に最後の巻入を書き初めた時に、思ひがけなく君の来訪を受けたのだ.、自分は之を天意と信ずるから、欣然君等の招きに応ずる。原稿の稿了も遠くない。脱稿次第直ちに後送するから出来ただけの分を日本に持ち帰つて国柱諸君に頒布して貰ひたい。取敢ず岩田富美夫君を先発として帰国させ、自分も年末までには屹度帰国すると言つた。私は之を聞いて抑へ切れぬ歓喜を覚えた。そして吾πは丈宇通り互ひに肝阻を披涯して忘れ難き八月二十三日の夜を徹した。指折り数うれば荘々三十五年の昔となつたが、瞑目顧望すれば当夜の情景が鮮明に脳裡に再現する。二人は太陽館の三階の「室に床を並べて横になつて居た。猿又一つの北君が仰向に寝ながら話して居る内に、次第に興奮して身を起し、坐り直つて語り出す。私もまた起き直つて耳を傾ける。幾たび寝たり起きたりしたことか。実に語りても語りても話はつきなかつた。
 私は一刻も早く東京の同志に吉報を伝へるため、二十五日朝の船で直ちに帰国の途に就いた。そして北君は私が去ってから三日間で残存の原稿を書き上げ、約束通り岩田富美夫君に下の書翰を添えて東京に持参させた。
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拝啓 今回は大川君海を渡りて御来談下されし事、国家の大事とは申せ、誠に謝する辞もありませぬ。残りの「国家の権利」と云ふ名の下に、日本の方針を原理的に説明したものを送ります。米国上院の批准拒絶から、世界大戦の真の結論を求めらるる事など、実に内治と共に外交革命の時機も「時に到来して居ります。凡てこ十三日の夜半に物語りました天機を捉へて、根本的改造をなすことが、先決問題であり、根本問題であります。大同団結の方針で、国際戦争と同じく一人でも敵に駆り込まざる大量を以つて御活動下さい。小生も早く元気を回復して馳せ参ずる決意をして居ります。
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八月二十七日
[#右寄せ]
一輝
大川 満川[#「大川」と「満川」は割注] 盟兄侍史
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 この『国家改造法案原理大綱』が満川君を初め吾πの同志を歓喜勇躍させたことは言ふ迄もない。それは独り吾々だけでなく、当時の改造運動にたつさはる人πの総てが切望して止まざりしものは、単なる改造の抽象論に非ず、実にその具体案であつたからである。北君の法案は暗中に模索していた人灯に初めて明白なる目標を与へたものであつた。吾々は直ちに之を謄写版に附することにした、岩田君が刷役に当つたが、彼にズテロを握らせると豪力無双の当、世近藤勇のことであるから、二三枚刷ると原紙が破れて閉口したが、とにかく第一回分として四十七部を刷り上げた、四十七は言ふ迄もなく赤穂義士の人数である。そして主として満川君が人選の任に当り、同君が当代の義士と見込んだ人πに送つて其の反響を待つた。その最も著しい反響は翌大正九年一月、休会明け議会の壁頭に、貴族院議員江木千之が秘密会を要求し、此の誉の取扱方に就て政府に質問したことであつた。そのために改造法案は正式に発売頒布を禁止され満川君は秘密出版の廉で内務大臣から告訴されたが、幸ひに不起訴となつた。
[#1行あき]


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