大川周明『奉事至尊・情死論』

奉事至尊 その一


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、奉事至尊
その一
一誠に綜合さるる万殊の道徳
 右手に方をゑがき、左手に円をゑがけば、方円両つながら成らぬ。天に鍵日なく、地に二王ない。吾等の生活に於いても至つて尊きものは唯だ一つでなければならぬ。
 至つて尊きものを奉じて、身も心も之に傾・けつくず時、生命本来の面目、初めて躍如として現れ来る。一事を奉じて他意なく余念なき心意は、古人の謂はゆる至誠である。人々個々みな自家の特色を吾等は個性と呼ぶ.そは一ありて二なき個々の特殊相にして、断じて他の模倣を許さざるものである。此天上天下独一無二の面目を、・実行.上に発.揮して、人々個々の存在が初めて意義と価値とを与へられる。
 而して中庸の記者が『唯だ天下の至誠、よく其の性を尽す』と道破せる如く、その従事するところに専心一意なる事によりてのみ、個性の実現は可能である。一切のもの、これを本質の上よりいへば、個性より強きはない、個性を失ふは、其の者自身の滅亡である。
 ざれば同じく中庸に『誠は物の終始.、誠なければ物なし』とあるは、真に鉄昆発の一句である。近時米国の哲学者ロイスの如きも、全心を一目的のために奉事する忠誠.の精神を以て、道徳の本原、全道徳.律め充実なりとし、忠誠の一藷、よく万殊の道徳を綜合すると主張して居る。

空虚なる生活は動揺不安の母
 誠.は実在の相である。そは純→にして無雑、真実にして無妄、進展にして不息、純動にして不断である。一切の動揺不安は、た甘誠を欠くが故に起る。誠を欠くとは二心を抱く事である。一切の見苦しきもの」うち、二心を抱くより見苦しきはない。二心動るが故.に、左顧右蒔するが故に精神に間隙がある。間隙あるが故に生活が充実せぬ、而して空虚なる生活こそ、一切の動揺不安の母である.
 もしこの動揺不安を掃蕩せんとするならば、必ず唯一無上とするところのものを把持せねばならぬ。唯→無上なるが故に、全力を挙げて奉事せざるを得ぬ。全力をあぐるが故に彿徊顧望の邊がない。その奉事する処、即ち自己の天地にして、また他あるを知らぬ。此時に於て人々個々、おのずから精神の安住を得て、一心初めて落在する。
 二宮翁夜話に曰く、
 『才智辮.舌は人に説くべしと難も、草木禽獣を説くべからず。鳥獣は心あり、或.は欺くべしといへども、草木を欺くべからず。夫れ我道は至誠と実行となるが故に、米、・麦、疏菜、瓜、茄子にても、蘭、菊にても、皆これを繁栄せしむるなり。智謀孔明を欺き、辮舌蘇張を欺くといへども、辮舌を揮つて草木を栄えしむることは出来ざるぺし。故に才智辮舌を尊ばず、至誠と実行とを尊ぶなり。古語.に至誠は神の如しといへども、至誠は即ち神なりといふも不可なかるべき也」と.、
 げに天地に漂る生命の一貫不息、周流充実、これ即ち至誠である。吾等の生くるは、此の生命の流れに乗托するのである.生命は動くが故に事の発端は多くある.而も.動いて息まざるは難きが故に、事の成るは極めて少ない。さればこそ『初あらざる唾し、終あるは鮮し』
 とは東西古△,の同歎である。而して唯だ至誠の人、よく終始一貫の生活を全うする。終始一貫なるが故に、その生涯は特色ある生涯.である。その一生は純一なる一気の流れである。故に成敗如何を問はず、個性の全面目、換乎として日月の如く明かである、


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