大川周明『不浄中の真金を如何す可き乎』

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不浄中の真金を如何す可き乎

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「人は三段階ありと知る可し。総て天は往古来今不易の一天也。人は天中の一小天にして、我より以上の前人と、我以後の後人と、此三段の人を合せて、初て一天の全体をなす也。故に我より前人は、我前世の天工を亮けて我に譲れり。我之を継いで我後人に譲る。後人之を継いで其又後人に譲る。前人、後人、今人、の三段あれども、皆我一天中の子にして、此三人ありて天帝の命を任課する也。仲尼祖述堯舜。継前世開来学。是れ孔子のみに限らず。人と生れては、人々天に事ふるが職分なり。身形は我一生の仮托、身形は変々生々して此道は往古来今一致也。故に天に事ふるより外、何ぞ利害禍福栄辱死生の欲に迷ふことあらむや」。  ((沼山閑話))
[#ここで字下げ終わり]

 掲ぐる所は当代の予言者横井小楠が在懐三十年の悟道。言は即ち簡なりと雖、万古の真理を道破して充棟の蔵経に勝れり。
 暫く吾をして先生が深遠の旨趣を揣摩し、更に之を換言せしめよ。曰く、字宙の存在と、人類の生存と、断々乎として両つながら無意義に非ず。到る可きの処、蹈む可きの道は、共に儼然として動く事なき也。一切の衆生は、前人、今人、後人の別ありと雖、等しくこれ天帝の摂理による宇宙究竟の目的の為に存在して、悠遙の過去劫より久遠の未来劫に亘る広大の天工に参与す可き光栄を有する一個尊厳なる天の子也と。
 厭世と云ひ楽天と叫ぶ人よ。徒らに多苦多楽を観じて、或は泣涕し或は歓喜するに先ちて、静かに人類の尊厳を想へ。誠や菩提清涼の月、高く畢竟空に游べば、透徹の心水に映ずる玲瓏《れいろう》の影は、ついに一ならざる可からず。時に古今の別あり、処に東西の差ありと雖、前聖後哲坦蕩々の心意を以て、冥思黙想し得たる最初の悟道は、等しく自己の尊厳是れ也、而して人類の尊貴是れ也。吾れ釈迦に於て、孔子に於て、ソクラテスに於て、基督に於て、而してマホメツトに於て、悉く其の然るを見たり。
 さはれ、よしそは単に皮相浅薄の見に出でたるにせよ。一部の学者をして、人の性や悪、其善なるは偽のみと叫ぶに至らしめたるが如く、清浄の真念往々にして其光明を蔽はるれば、人は迷妄の野に方を失ひて、東を西とし、南を北とし、竟に混濁の大河に漂没せられ了る。
 悟れる人、慈眼を開いて滔々の世態を観ずるの時、惻々愛憐の情はやがて説法弘道の大勇猛心となり、ここに万民の救済に尽心焦慮するに至る、鳴呼吾等は幸なる哉。そは無溢の大慈悲が、常に吾等の上に注がるるを以て也。
 世界史は人類発達の記録也とは古るき定義なりき。而してへーゲルが竿頭更に一歩を進めて、世界史は神其物の発現也と断ぜるは、吾が深く其の達見に服する所也。ひそかに、稽ふるに、如是神聖なる世界史上に於て、活動の源泉たる可き人類の思想に対つて、多大なる影響を及ぼせる宗教や道徳ヤ哲学や、乃至は経綸の策画、其形式に於て千種万様なりと雖、悉く人をして其本来の真価値を自覚せしめ、以て其天分を尽さしめんとするの一点に於て全く一致合同せざるは無し。若し夫れ救世と云ひ済民と云ふも、其根柢とする所ここに存せざるものは、遂に無意義に終る。本立たずして末成るの理なければ也。
 万衆をしてその尊厳を自覚せしめ、人生の真意義を発揚して、昊天の恩寵に酬いしめん事、之を如何す可きとは、次で悟れる人を悩ます一大難問ならざる可からず。而して聖賢君子の見る所は、亦此に於ても殆ど其符節を合せき。彼等は、人類が邪しまの道を蹈む因由を考へて、これ飽暖を希求し、権勢に執着し、偏へに物質を重んじて身形を愛するが為なりとなせり。於是乎一種の道徳は彼等によりて提唱せられぬ。即ち吾人が仮に名づけて物質軽蔑道徳、石しくは、心霊偏重道徳と云ふもの是れ也。
 然りと雖、人類が飢渇寒暑を感ずるの間は、到底経済的問題を其頭脳より除き能ふ可らず。聖賢君子と雖衣食住の三者、一を欠けば以て生く可からざる也。是に於て心を人生の問題に労するものは、必ずや如是問題の解決を要求せらる。
 「富める者の神の国に入るよりは、駱駝の針の孔を穿るは易し」。「爾曹神と財とに兼ね事ふる事能はず」。基督の解釈は是れ也。かくて彼は自ら貧に安んじて心を衣食に労する事なかりしと雖、天の鳥と地の虫とをして命を保たしむる彼の父は、また彼をも飢ゑしむる事なかりき。
 「君子は食飽かん事を求めず、居安からむ事を求めず」。「君子道を憂へて貧を憂へず」。孔子の解釈は是れ也。かくて彼は一簞の食一瓢の飲、陋巷に安んじて道を楽しむの回を賢とし、敝れたる褞袍《おんぼう》を衣て、狐貉《こかく》を衣たる者と立つも耻る事なき由を称し、身は門閥の家に生れて諸国を放浪し、陳蔡の野に飢ゑては窮するも濫せざらむ事を以て後生に訓へき。
 「我れ諸法の常なきを覚りて道を得たり」。「水流れて常に満たず、火盛んにして久しく燃えず、日出でて須臾《しゆゆ》に没し、月満ちて已に復欠けぬ。尊栄豪華の者。無常なる事また是れに過ぎたり」。「世間種々の法、一切皆幻の如し。若し能く是くの如く知らば意動く所なし」。釈迦の解釈は是れ也。かくて彼はあらゆる現世の雑務を軽んじ、身は王家に生れて乞食の地位に安んじ、印度の都城に行化して法を宜べぬ。
 吾人は如上の諸聖が自ら貧賎に安んじ、人生を支配する最大の覊絆たる可き、経済的束縛より脱し得たるを見て、之を嘆美するに躊躇せざるもの也。然れども、果して多くの人皆な彼等に傚ひ得可き乎。若し夫れ人衆をして彼等と同一の自覚を得せしめ、人生の真意義を悟らしめたる後に於ては、此事或は不可能となさざる可きも、墨子が、歳豊なれば仁旦良、歳凶なれば吝且悪と喝せる無恒の万民、遽然として彼等の言に聴き、課然として直ちに悟道に入る可き乎否乎。蓬髪襤褸跣足の貧者に向ひて、汝は誠に貴き者也と説くも、彼果して言下に首肯すべき乎否乎。そは彼が当面の要求は、正に尊厳なる霊性を包む所の躰軀を養ふ可き一椀の食にして、人生の真意義と云ふが如きは、彼に於てむしろ風する馬牛の観あれば也。
 吾れ一人の良師を有す、道を伝へんが為に海を渡りて仏国より我が郷里に天主教々会を牧する人也。曾て吾れ問ふ、不義にして富める者あり、正しくして貧しき者あり、希くは師の説を聴かむ。答へて日ふ、汝現世を過重する者よ。貧しくして正しきは永遠の生命を得、不義にして富めるは永劫の亡滅に入るを知らずや。現世はこれ試錬の場処のみ。富めるを福とする事勿れ、貧しきを禍とする事勿れ。吾等生涯を道に捧げて弘法に焦思する所以のもの、人をして高く物界に超然たらしめ以て来世の歓楽を享けしめんが為のみ。吾更に問ふ、東洋の賢者、或は貧にして怨なきは難く、富みて驕るなきは易しと云ひ、或は礼義富足に生じ盗竊窮極に起ると云へる者、之を世に徴して多く悖る所なし。何が故に人生れながら貧冨貴賤の別あろ。訓へて日ふ、神は等しく万人を祝福し給へり、貧富貴賤皆なこれ測り難き神旨に墓つくと。
 此を以て単に吾師一人の見解となす事勿れ。現代多数の牧師宗教家が(其の果して心奥の確信なるや否やは疑問なりと雖)、如是の質問に対する、一律の模糊不了なる答案は正に是れ也。果然、現代牧師の本職とする所は、天国の戸口を増殖するに在る也。彼等の抱持する所は、一種の宿命論的思想なる也。悠揚の態度真に愛す可きに非ずや。牧師なる語が吾人の耳鼓に響くの時、直ちに睡魔の乗ずる所となるもの、蓋し故なきに非る也。
 さはれ古人は暫らく彼等の所為を批評せざる可からず。
 凡そ覆載の間、億万無数の生物、下は一介のアミパよりして上ほ一個の人間に至るまで、其の意識的なると無意識的なる問ふ事なく、苟しくも生存の欲望を有せざるもの有ること無し。而してこはやがてあらゆる進化の根柢をなす所のもの也。試みに人類よりして悉く如是の欲望を除去したりと思考せよ。渾円球上幾くもなくして、人類の隻影を止めざるに至らむ事、何人か之を拒む可けむや、然り、天は人類をして生み殖え、而して地を治め之を服がへしめんが為に、与ふるに生存の欲望を以てし、賦するに五個の感官を以てせる也。
 社会学者は、食物及温暖の須要を以て、社会活動を生ずる激因中、最も本原的にして且最後に至るまで有力なるものとなせり。而して此須要は、やがて社会活動の根本様式たる経済的即ち産業的活動を惹起するに至る。一切の衆生は是大地を踏むの間、何人と雖衣と食と住とを有せざる可からざれば也。
 釈迦伝を繙ける人は、必ずや下の事実を看過せざりしなる可し。即ち、釈迦、尼連禅河東畔、前正覚山中に、静座観行の場をトして、禅思を凝らす事六年、其間父王が贈致する資糧を謝して、日に一麻一米を取るのみ、形軀漸く憔埣して枯木の如きに及びぬ。是に於て自ら思惟すらく、道は慧解によりて成じ、慧解は根によりて成じ、根は飲食によりて補はる。然らば食を絶つは終に道を得るの因にあらず、吾当に食を受けて道を成ず可しと、即ち起ちて尼連禅河に沐浴せり。時に一牧女難陀婆羅なるものあり、来りて釈迦の足を礼し、恭しく乳麋を奉る。釈迦之を受けて食ふに、体力漸く復して、菩提を成ずるに堪へたりと。事は極めて当然なりと雖、吾人は其が釈迦の事蹟に属するの故を以て、格段なる注意を払ふ可く要求せられたる也。
 見よ。聖者が苦心はここに存せり。身体髪膚は養はざる可からず。而も小人は玉を抱いて罪あり。以て気を増し虚を充て、躰を強くし腹に適すれば即ち足るの飲食は、目遍ねく視る能はず、手遍ねく操る能はざるに至らむ事を欲し。冬は軽にして暖、夏は絺にして涼、身体に適し肌膚に和すれば即ち足るの衣服は、錦繍文采靡曼を以て飾らむ事を欲し。以て風寒湿潤を防ぎ、雪霜雨露を待てば即ち是るの住屋は、青黄刻縷の飾、台謝曲直の望あらん事を欲す。ここに至りて人はただ飽食暖衣安居をこれ追求して、また他を顧みざらむとし、昊天の恩寵、人をして天工に参与するの栄を有せしめんが為に人類に賦与せるもの、偶々其の誤り用ふる所となりて、本末はここに顚倒せられ、人の子が五十年の生涯は、猶ほ食匕の終日食を酌みつつ、絶えて其の鹹酸を知らざるがごときの無意義に了る。
 聖者之を見て先づ身を貧賎の地位に置き、経済を以て全く宗教道徳に服従せしめ、衣食の問題をして累を彼等の行動に及ぼす事なからしめたり。真にこれ当然の事に属す。然れども万衆をして悉く彼等に傲はしめん事は即ち如何。名手は鈍刀を揮ふも鉄尚ほ断つ可し。而もこれ凡夫の企て及ぶ所にあらず。想ふに彼等は、干城莫邪を以てして尚之を難んずる所の者に、鈍刀を与へて共の截断を強いたるもの也。
 曰く、歴史の各時代に於て必ずや生産分配に関する特殊の方法あり。而して必然之よりして生ずる社会組織あり。当代の政治及び文明は此基礎の上に建設せられ、又此基礎によりてのみ説明せらる可きもの也と。これカール・マルクスによりて唱道せられたる一大真理、ダルウヰンが自然界に向ひてなせる発見を、人類社会に向つて為せりと称せらるる所のもの也。人文の歴史に於て斯くの如き大勢力を有する経済的覊絆を脱せん事、之を一般常人に向つて望むは、余りに重大に過ぎざらむや。果然事実は明かに之を証せり。社会の進歩発達は、之を支持し生活せしむる、富の分配生産の方法と常に其の歩調を一にせりき。故を以て若し希臘、羅馬、英国、米国、支那、日本の歴史を、充分に解釈せんとする者は先づ各国の経済組識を知りて後にせざる可からざる也。
 徳の軽き事毛の如しと称せらるるも、民克く之を挙ぐる者|鮮《すくな》きは誠にこれ古今の通嘆也。教へをのべ、徳をすすむる人、殆ど摟指に遑なくして、而も現代の最大欠陥が依然として道行はれず、人覚めざるの一事に存するは何の故ぞや。人皆な両耳あり、高遠の談議聞かざるに非ず。人皆な双眼あり、教誡の典籍読まざるに非ず。而して芙蓉の秀霊と吉野の芳花に、天地正大の気をしのぶ東海の君子国、尚ほ二千に近き裁判所と、三万五千の警察官とを煩はして、年々八十万に近き犯罪者に労苦するを見る時、吾人は驚嘆の眼をひらかざらむとして能はざる者也。而して如是犯罪の過半数が金銭に関するものなりと知る時、吾人はかの宗教家と道学先生とが、今更らの如く物質軽蔑道徳を大呼するの、真に故なきに非ざるを思ふ者也。然れども吾は、彼等の時と勢とに暗きを悲しむ、近きにある因由を見ずして、徒らに囂々するを憫む。
 想ふに人は、遺伝と境遇と教育との為に最も大なる影響を蒙むる。貧しき家に賤しき人の子となりて、智徳の闇黒に沈める者と、富める家に貴き人の子となりて、教育を擅ままにする者と、其間に存する幸不幸に霄壌の差あること、何人も之を拒む可からざる也。而して両者に対いて説く所は等しく是れ也。曰く、自己の尊厳を自覚して大道を邁進し、天工に参与して人生の真面目を発揮せよと。何人か前者と後者と、その之を行ふに当りて、隔絶せる難易あるを認めざらむや。而も貧者賤者、共の冷刻なる運命の下に、智は即ち闇く、徳は即ち薄く、放僻邪私する所あれば、かの道を説者、衆生済度難をとなへて、或は慨嘆し、或は落胆し、甚しきに至りては即ち怒罵し叱咤す。是れに至りて吾れ殆ど語の評す可きを有せざる也。然らば之を如何すべき乎。如何にして現代を其混沌と乱倫とより救ひ、同胞悉く自己存在の真意義に向ひて確乎不動の見解を抱き、此の見解をして各人の一挙一動を支配し統轄せしむべき一個の大勢力たらしむべき乎。
 問題は高く掲げられぬ。雑多なる答案は紛々擾々を極めて出でぬ。かくてあらゆる手段は試みられぬ。而もそは多く成す所なくして終れる事吾人が現に目睹するが如し。於是乎吾人は、最も確実なる功果を期待すべくして、而も未だ試みられざりし最後の一法を択ぶべき当然の義務を感ず.最後の一法とは何ぞや。怪しむを止めよ、そは古来聖賢が唱道したりし陳腐なる策図を実行する事是れ也。人をして経済的問題に心を労する事なく、衣食の憂患を其の念頭より除去せしむる事是也。かくして共志す所は即ち聖賢と同一なりと雖、其之を遂ぐるの手段に於て全く雲泥の差を有する者也。そは聖賢のなす所は、之を吾人より見れば、梯楷を与へずして、人を高きに登らしめんとするが如くなれば也。
 然らば吾等の取らむとする乎段は即ち如何。是を一言にして尽くす、曰く、現代の社会を其根柢より覆へして、更に健全なる経済的組織を形成するに在り。而して吾人は健全なる経済的組織を得んが為に、直ちに走りて社会主義に趨かざるべからず。ヱミール・ゾラは叫んで曰ふ、社会主義は真に驚嘆す可き救世の福音也と。吾人も亦同然の叫びをなさんと欲する者也。
 夫れ現代の如き経済的組織の下にありて、万人悉く物質の上に超然たらむ事を望むは、小弓を張りて天界の星を覘ふ幼童の愚と何等択ぶ所ろ無き也、黄金の万能を非とし、拝金の主義を排して切なる者あり、而れども現代の社会に於て黄金の万能は、動かすべからざる事実に非ずや。宗教も教育も政治も乃至は文芸も、悉く黄白の為に左右せらるる時、財宝珠玉を卑しめよと絶叫するも、何するものぞや。銀行に転業する宗教家、権勢に阿附する教育家の、日に増加するを怪しむ勿れ。政治を以て貨殖の方便となす政治家の、日に増加するを怪しむ勿れ。多くの青年が主義と理想とを失ひて、黄白の前に叩頭するを怪しむ勿れ。神聖なる結婚が財貨の為に支配せらるるを怪しむ勿れ。堕胎薬の売行が日に増加するを怪しむ勿れ。犯罪者の日に増加するを怪しむ勿れ。醜業婦の密航が日に増加するを怪しむ勿れ。総て是れ現代の社会制度より生ずべき当然の結果に過ぎざれば也。
 仁義五常の道を蹈めよと人にせまる者の、如何に多くなる哉。社会の敗徳乱倫を嘆く声の如何に喧々たる哉。さらば彼等に従ひて進まん乎。忽ちにして貧苦の淵に陥らずんば即ち奸譎の小人が乗ずる所となるを如何す可き。性に従ひて行へば是れ道。徳の軽き事毛の如しと云へる聖者の言は、現代の社会に於て、全く空文たらんとする也。
 敬虔なる牧師が其の教会に於て、吾等は霊の救済に努めざる可からず。むしろ肉に死して霊に活きざる可からずと説いて、聴衆高遠の論議に酔ふ時、吾人の背后より醵金箱が順次に廻り来るを見て、諸君は其の滑稽の極に笑はざるを得る乎。誠にこれ絶代の喜劇也。成道の僧侶が其の寺院に於て、善男善女の為に金銭貪ぼる勿れと説くの間、妻子の覊絆は彼をして信徒の賽銭が半文の多きを加へよと希はしむるを思ふて、諸君は其の惨憺の苦衷に泣かざるを得る乎。誠にこれ絶代の悲劇也。然れども、教会と寺院とをして永く演劇場たらしめ、牧師と僧侶とをして長く俳優たらしめむほ到底吾人の忍び能ふ所にあらず。若かず、若かず、現代を其の根本より改革して、ここに新らしき経済組織を有する、より進みたる社会を形成せんには、フレデリツク、デニスン、モリス曰く、文明の弊を救はんには、更に完全なる文明を以てせよと。不幸にして吾人の聖賢は経済的知識を欠けるの故を以て、全く如是の一面を軽視し、其結果として彼等の善良なる垂訓を実行せんとする者は、至大なる困難と戦はざる可からざるに至れり。身を殺さずんば仁を為す事能はざるの社会は、万民霊によりて活くるに、余りに不便を極むるもの也。
 吾人は一の戦懐す可き刻薄の行為が、曾て印度に於て行はれたるを聞けり。百名に近き英国人あり、不幸蛮人の手中に落ちて、殆ど十人の為にすら呼吸の自由を与へざる一小室に出幽せられぬ。彼等はもと皆な豪毅にして義務を尽くすに熱心なる士人たりしと雖、室内の空気次第に腐敗し、臭気次第に充塞し、窒息の苦痛殆ど堪ゆべからざるに及びて、各人皆な自己あるを知りて他を顧みるの暇なく、獄舎の一小孔に其の口を当て、一度び新鮮なる空気を吸はんと争ひて、怖るべき修羅場は黒闇の中に演出せられぬ。僅かに命を保ちて獄より出でたる人、後に語りて曰く、吾等は食肉獣の残忍を敢てせりきと。史上にカルカツタの暗獄《ブラックホール》と称ふるもの即ち是れ也。呼吸の穴に達せんとして、心狂ひ気乱れ、同僚相践み相戮なふの惨状を脳裡に描いて、毛髪の棘立するを覚ゆる者よ。正にこれ現代社会の絶好典型なるを知らずや、人類を駆りて滔々利慾を闘はしめ、互に爪牙を磨して呑噬《どんぜい》を肆ままにせしめつつある現代社会の絶好縮図なるを知らずや。是に至りて吾人は、社会制度の根本的改革が真に当面の急務なるを感ずる事転た痛切を極むる者也。
 釈迦牟尼曰く。善男子よ。一切の衆生は煩悩の中にありても、常に汚れざる如来蔵を有てり。徳相具足して我と異なる所なき也。譬へば真金の不浄の中に堕ち、隠没して現はれず、年を歴るも真金の質は壊れず、而も知るものなし、唯だ天眼めるもの、よく真金のある事を知るが如しと。
 鳴呼、不浄中の真金を如何す可き乎。
 牧師、宗教家、乃至達人、先覚と称ふる者よ。徒らに真金不浄の中に在りと絶叫するを止めよ。そは諸君が今更らに呼号するを侯つ事なくして、聖賢の垂訓すでに之を確実にせるを以て也。譬喩を以て彼等の所為を言へば、甕中に転墜せる幼児を見て、日々に児童将に溺れんとすと叫ぶも、甕を破りて之を救ふ司馬温公の智を欠ける者也。今や議論を上下するの時を去りて、手を下す可きの時は来れり。先づ真金を蔽へる不浄を除去せよ。然らば黄金の燦たる光輝は、説く事を用ひずして万人の認むる所となる可し。先づ欠陥に充ちたる現代の制度を改革せよ、然らば人類に賦与せられたる尊貴の性絡は、叱咤を侯たずして発揚せらる可し。泥濁の中に植ゑられたる薔薇の萎縮を嘆ぜむよりは、何ぞ速かに之を沃豊の乾地に移し植ゑざる。花は蜀紅の錦を織りて、郁々の香気は到る所に薫ずべき也。
 さらば、吾等と共に、現代の制度と称する、悪しき実を結ぶ巨木を倒す事をせずや。革命の斧を揮ふて吾等と共に、一打を其根に加ふる事をせずや。これ聖賢の教訓をして其真意義を発揮せしむる第一歩にして同時に昊天の恩寵と、聖賢の大悲とに答ふる吾人が当然の責務なれば也。


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